【大阪府】万年山 少林寺

¥3,300

寺院紹介

住職

昭和二十年(1945)七月九日の堺大空襲により堺の旧市内は一夜にして灰燼に帰した。当寺も災禍を蒙り総檜造五棟の堂屋は勿論境内の一木一草まで焼失したが、当寺の住職、寺族の懸命の努力により、御本尊、鎮守様他を守護し奉り無事難を逃れた。

逆芽竹の藪も一応丸焼けになったが、根が堅固だったので、間もなく眼を出し再生して見事に今日に到っている。

また、堺市古文化財保護研究家の某古老(故人)から当時確聞したところでは、逆芽竹の藪は堺市唯一の名竹林である。かくして六百五十有余年の歴史を背景にして福徳の守護神として永遠に生きつづけるに違いない。「釣狐」の秘曲とともに・・・。

住職 横井文暸

お寺紹介

創建当時は、現在の少林寺町、寺地町の両町を抱擁し、東西六丁(約650m)、南北二丁(約220m)の寺領に、本坊は七堂伽藍を整備し、塔中に耕雲庵、心源庵、祇狐庵、曹渓庵、一翁軒の六坊を保有し泉州随一の禅刹であった。現存の少林寺町西四丁の久の弁天は当時の西門の鎮守であった。また、御陸前土居川にかかる少林寺橋は少林寺の南門あった場所という。

一時は織田信長に没収されたが、豊臣秀吉の信仰の厚さで再興された。しかし、元和元年(1615)大阪夏の陣で全坊を焼失しその後ついに再興はならなかった。寺地は新市街では少林寺町、寺地町となった。なお、両町の地子は当寺へ地代を収めてきたが、寛永十一年(1634)には全市街を地子免除するならいに従って免除した。明治三十九年(1906)には、戎の町禅通寺を合併し、その鎮守今池弁財天(伝空海弘法大師作)を受継いでいる。尚、開山桃源宗悟禅師自賛の画像(1382年遷化直前のもの)も門外不出の寺宝として現存している。

そもそもお稲荷さんは、インドで仏教以前のバラモン教では茶吉尼天として信仰されており、且、仏教では「茶吉尼栴陀利経」に「白辰狐王智菩薩」 とあり、外道をも摂取せんがために仏が解かれたと、真言密教も伝えている。古来、茶吉尼天の信仰は剣難盗難除け、ことに福徳が授けられるというので信仰が盛んになっていった。

日本では京都伏見の稲荷山に初めて祀られたのでお稲荷さんと称するようになった。その形像は鬼神の一つで、東寺、三井寺、山門の黒谷流、三河の豊川稲荷、広島県西条の西条稲荷などが有名である。

当少林寺のお稲荷さんは、頭巾をかぶり、衣を着て、片手に数珠を持ち、片手に竹杖を持っておられる僧形で、日本で唯一の姿像である。目は鋭く、人の心を見透かす智力を持ち、一方手には慈悲を表す数珠を持ち、何事をも耐え忍ぶ永遠の命を象徴する竹杖を持っておられるのが特徴である。

白蔵主稲荷明神と逆芽竹の薮の由来

永徳元年(1381)時の塔頭、耕雲庵の住僧であった通心蔵白蔵主は、稲荷明神への信仰が厚く、鎮守稲荷明神に参籠し、二十一日間の参籠満願の日、修行中に用いた竹の杖を修行場にに逆さに立て、「もし、この竹杖から再生の芽が立ち出でて竹薮となった時は、鎮守稲荷明神と白蔵主の霊が一体となり少林寺と少林寺を進行する人々の福徳を守護、成就せしめる証である」と言い遺してその後、この世を去ったという。この事実を知った当時の人々は、このお稲荷さんに”白蔵主稲荷”の称号を献じ奉拝した。また、竹杖から繁茂した竹林を”逆芽竹の藪”と称し現存している

さらに、白蔵主稲荷の存在を人口に膾炙せしめたものに狂言、歌舞伎長唄による普及があった。その頃、狂言大蔵流の始祖は、霊狐の所作を狂言に作り秘曲「釣狐」と名付けたことから一躍有名となり、狂言、歌舞伎に関わる人々には日本全国から”少林寺の白蔵主、白蔵主の少林寺”として親しまれている。

地図・住所

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