寺院が選択されていません。
LINEでのご質問はこちら
▼見学予約や資料請求はお電話でも受け付けています
営業時間 10:00~17:00(水曜定休)
▼納骨までの流れ
当寺は、旧寺名を穴師寺といい、寺史には白鳳二年(673)藤原鎌足有縁の草創という説と、白鳳九年(680)に鎌足の一子、不比等が開山したという二つの説があり、藤原一族による興福寺・春日五社に次いで伊勢での寺院建立とも伝う。 山頂には式内穴師神社跡があることから、大和の穴師坐兵主神社から移住した氏族の菩提寺として草創されたと考えられる。 天暦七年(953)の公文書『近長谷寺資財帳』に穴師寺の寺名が登場し、また延喜五年(905)の『延喜式神名帳』伊勢国の項に穴師神社の社名が見えることから、相当古い歴史を持つ寺社である。 「金剛座」の名称は、通常「釈尊成道の座」を意味するが、しかし神仏習合による本地垂迩説から見て、天手力男命の本地仏を金剛薩唾と想定すると、金剛(薩埵)の座す寺と名付けたとも考えられる。 寺史にはその後、仏士寺(仏土山普賢寺)・戒光寺・継松寺・霊教寺・南寺・北ノ坊・東ノ坊を有するまで発展したが、永享四年の地震による損壊、応仁二年、永正三年の兵火、天正年中の織田氏兵により焼失等すべての古文書等悉く灰壗し、それまでの寺史の詳細が不明となってしまっている。 寛永十七年(1640)に度会郡國束寺の僧であった良珠上人が入山し、相可大和屋五代広明が大檀那となり現在の本堂を再興した。客殿は江戸末期建立の書院造りで大和屋の別宅を移築したと伝わる。庫裏は明治元年に建立。 当寺は江戸期から比叡山派であったが、戦後、当時住職広橋貫廣の法友であり比叡山回峰行を再興した叡南祖賢大阿闇梨の修験道法流発足に参集することとなった。 後、三十年間の無住期を得て染川智勇新住職のもと復興が進められている。 多気町文化財として、『鰐口』『穴師神像』が指定されている。また寛永二十一年(1644)建 立の本堂は旧多気町内最古の建築物である。
金剛座寺は小さな山寺ですが、式内穴師神社を起源に千三百年の歴史を持つ天台宗の古刹です。 今回お寺に霊園を建設するにあたり全国の霊園を視察し、合わせて日本人の文化や死生観を学んでまいりました。 暗く陰気な墓場ではなく、明るく庭園のような美しい霊園であることはもちろんのこと、あくまでも信仰心から発する真心からの管理・供養を目指しております。 ご本尊の如意輪観音さまに祈願し、本堂下の竹林の高台に開いた霊園は、奥伊勢の山々の絶景を望むことのできる浄土のような天空の聖地となりました。 人々が楽しんで集うことのできる本当のお寺をめざして発展していきたいと精進をお誓い申し上げます。 ぜひ伊勢の歴史を刻む金剛座寺霊園に仏縁をお結びください。 合掌 金剛座寺住職 染川智勇